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概要

総社企業ガイド

鬼ノ城全国の歴史ファンの注目を集める鬼ノ城は、標高400m~600mの吉備高原の南縁に位置する古代山城で、吉備彦命の鬼退治の舞台としても有名です。鬼ノ城は、すり鉢を伏せたような形の山で、この山の8合目から9合目にかけて城壁が約2.8kmにわたって鉢巻状に巡っています。城壁は、一段一段に並べて置かれた列石の上に土を少しずつ入れてつき固めた版築土塁と高い石垣で築かれ、数m~数十mの直線を単位として地形に応じて城内外へ「折れ」ているのが特徴です。城壁で囲まれた城内は約3 0ヘクタール(東京ドームの約6.4倍)に及ぶ広大なもので、水門が6ヶ所、城内の出入口となる城門が4ヶ所、食料貯蔵庫と考えられる礎石建物跡などが確認されています。城門の「西門」と城壁の死角を防ぐ施設「角楼」周辺については復元しており、当時の堅固な古代山城の一部を目の当たりにすることができます。温羅伝説史実と物語『桃太郎の伝説』第11代垂仁天皇のころ、吉備国に「温羅」という異国の王子がたどり着いた。髪やひげはぼうぼう、性格は極めて凶悪。温羅は備中国新山に居城「鬼ノ城」を築き、貢物や婦女子を略奪し、人々に恐れられた。そこへ、大和朝廷から温羅退治に送り込まれたのが「五十狭芹彦命(吉備津彦命)」。命は大軍を率いて「吉備の中山」の西に石楯を築いて布陣し、矢を射って攻撃した。一方、温羅は山城である鬼ノ城から岩を投げて迎撃。矢と岩は何度も空中でぶつかり、こう着状態が続いた。そこで、命は神力を発揮して同時に2本の矢を射ると、片方の矢が温羅の左目に命中。温羅の目から吹き出した血潮は血吸川に流れ、下流の赤浜まで真っ赤に染めたという。傷ついた温羅は、雉に姿を変えて山中に隠れたが、命は鷹となって追いかける。ならばと、温羅は鯉に化けて血吸川に逃げ込むが、逃すまいと命は鵜となって追いつき、鯉に姿を変えた温羅をかみあげた。吉備津彦命に成敗された温羅の首は、吉備津神社の御釜殿の土中深く埋められたが、その後13年もうなり続けた。ある夜、命の夢枕に立った温羅が「わが妻、阿曽媛に神饌を炊かしめよ。これまでの悪業の償いに、釜をうならせて世の吉凶を告げよう」といった。これが、吉備津神社の「鳴釜神事」の始まりといわれている。